いむげむ亭 ▼ 時々日記

陶芸家 中島惠のブログです。HP→いむげむ亭日常http://imugemtei.g1.xrea.com/

鑑賞~古伊万里の楕円大皿~

この楕円の大皿。

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ヨーロッパで中国人の美術商の方が入手されたものです。
太極拳をご指導いただいている姜先生からのご縁で、
「私が観ての感想をメールでお送りする」巡りあわせになりました。

こちらにも転載します。(一部加筆しました)

美術館にも骨董市にも出かけられない自粛の今。
よろしかったら、
私の観賞にお付き合いください。
(なお、詳しい経緯については、別に書く予定です。)

 

【まず画像】

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【大体の分類】
日本の江戸時代18世紀以降、明治より前。

九州の伊万里と呼ばれる窯場で輸出用に作られた
「染錦手磁器」だと思います。

ほとんどが注文を受けて作られたものだそうです。
ヨーロッパ向けは「花を必ず描きこむように」という注文が多かったらしく、
中央に花垣、上部に花かご、これでもか、と花が描いてありますね。
「扇割」等と呼ばれる画面分割があり「扇子型の窓」の中に人物。
老人が飲みながら花見をしているようすです。
この人物は「当時の日本の職人が思っている昔の中国の仙人とか孔子のような学者さんとかの絵」です。(中国の方にはここ、説明が必要ですよね。)
隣にいる子供は「唐子(からこ)」とよばれ、やはり昔の中国の子供をイメージした風俗です。
どちらも日本で様式化した人物描写です。文人画風、と呼ばれることもあります。

 

【参考画像と比べてみる】
手元にある講談社版の陶芸全集にやや似た焼き上がりの壺画像がありました。
(参考画像2枚 講談社刊 世界陶磁全集より)

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樹下美人図で、江戸風俗の女性たちがモチーフの大きな壺の写真ですが、
全体の色構成、様式、技法が似ていました。
特に染付(紺色に見える部分・・牡丹の葉など)の色調が似て見えます。
材料、地域の共通性を感じました。

ただ、作風はかなり違います。
こちらの大皿は、唐草を白抜きにするなど、細部は手の込んだ装飾を施しているのに、
肝心の画面構成で「画面を分割する窓の形」がいびつで、スッキリ見えません。
だから全体がちぐはぐな感じがしちゃいます。

また、模様の描き方が画一的すぎて、作業をこなしている印象があります。
程よい様式化は心地よいものですが、行き過ぎると「雑」な感じがしてしまいます。

わかりやすい例をあげましょう。
扇面の中の「樹のモミジ」と「岩に散ったモミジ」をみくらべてください。
違いを描き分ける気は全く感じられません。
むしろ「全部おなじモミジ!」って仕事をこなした感じにみえませんか。
(散ったモミジはもう少し描きようがあるような…←内緒の本音)

 絵付け職人さんが、デートの約束でもしていたのか、
 それとも締め切りを急がされて描いたのか、新入りだったのか、
 単に下絵どおり描いたのか・・・・

 

【作られた時期についてもう少し詳しく考える】
江戸前期では高級品だった「染錦手」ですが、時代が下ると庶民にも普及してきます。
大きい事は「高級品」の特徴ですが、
高台裏に何の文字もない事や、分厚く低い角がまるい高台、
それから前述の絵付けの特徴などは「庶民の器」の特徴だとおもいます。

(中国の磁器も日本の磁器でも同じですよね。)

ですから、こちらの大皿は少し時代が後になってからの
庶民向けに作られるようになってからのものかな、とも思います。

 ちなみに、染付の色(日本では「呉須」と呼ぶ「コバルト系の染付顔料」)は
明治時代には欧米の精製技術が導入され、「鮮やかな青」に変わります。
なので、このお皿の紺色はそれ以前に作られたもの→江戸後期かな?と考えました。


【傷跡から思いをはせる】 

大皿見込み中央の銀色っぽい傷が写っています。
これは、私からは【金焼き付けの時の窯傷】のように思えます。


何故そう考えるか。

もし私がこれを作っていたとして、
焼成で出来た傷なら、上絵を描く時にごまかします。

濃い赤の雲を少し伸ばすとか、濃い赤で花を描き重ねるとか・・
とにかくデザインで隠すと思うのです。
それが、隠されていない。
ですから金焼き付けの作業時に 焼成窯の道具・窯の天井などから、
金属の銅の欠片や銅を含んだ小粒の石(砂粒のようなもの)が落ちて
そのまま焼き付いてしまったのではないか、と想像します。
(学生時代に同じような傷を目にしたことがあります。)

窯から出したとき、窯職人さん、大ショックだったでしょうね。
親方に怒られなかったかしら・・・
お給料はもらえたのかしら・・・気の毒になります。
傷だと思うとマイナスですが、
傷の向こうに、私たちと同じように生きた職人さんを思い浮かべれば
器の生きてきた時間を知るヒントとなり、親しさを増す事ができます。

そんな風に思いをはせながら、親しくそばに置いてほしいと願うのは、
私が陶工だからでしょうね。

 

遠くヨーロッパで200年以上を生き延びた日本製の大皿さん。
中国の方に見いだされ、私も会うことができました。
次の時代をどこの国のパートナーと過ごすのでしょうね。

この先も、大事にされて活躍できますように。

(「興味のある方は連絡してほしい」、との事です。
 ご縁ですので、メールのお取次ぎ位ならいたしますよ。)