いむげむ亭 ▼ 時々日記

陶芸家 中島惠のブログです。HP→いむげむ亭日常http://imugemtei.g1.xrea.com/

猫は前しか向かない 「1グニャ猫大師」

夏休みが終わった頃から
猫の食欲が、がたんとおちた。
ほとんど食べない日が増えてきて、
毛皮の下の背骨がわかるようになり、
呼吸の度に肋骨の形が見えるようになり、
足取りはよろめき、歩く速度は遅くなっていく。
眠っている時間が延び、
その衰えをハッキリと感じるようになった。

確実にもうすぐ、という別れの予感。

9年間も、毎日その瞬間に備えていたはずなのに、
今更ながらこの猫さんが消えてしまった時の衝撃が
どれほどなのか、想像できず、不安。
不安が先に立って、この後私がどうするべきかを
まとめる回路が働かない。

これでは、いかん!!
受け止めるための心の準備をしなくては。

そう考えて、ネットをアレコレ読みあさった。


役立ったと思うのは、
「同じ病気の猫ちゃんを看取った方々のブログ」
この先起こるであろう事が、視えて心構えができた。

それと、
獣医師さんによる、
「猫のターミナルケア(終末ケア)についてのページ」

『食べなくなること、飲まなくなることは
旺盛な命では「マイナス」だけれど、
ターミナル期には、むしろ「プラス」であり、
楽に穏やかに肉体を終えるために
自然が授けた恩恵だという考え方』だ。

これがとてもしっくりきた。

グルニャは、幼児期の重大事故の時だって
かけらも自分が死ぬと思ってなかった。
9年間の延命治療中も、呼吸困難の発作の時もそう。

自然が示す現状には逆らわない不安にならない
そして、一つも諦めない
常に食べようとし、飲もうとし、
歩こうとし、遊ぼうとしていた。
ひたすら前向きなイキモノとしてあり続けてきた。

その子が、ここへきて「食べたくないよ」というなら、
それは『前向きな自然の導き』なのだ。

 

人間は、自然を先読みして利用し豊かに生きられる。
だけどその分、先読みが自身に告げる未来に恐怖する。
読み違いを恐れて迷う。後悔する。
どっちにしても避けられない終末を受け入れ難くて
無駄に苦しみを増やしてしまう

つまり。
終末期の心のありようとして
優れているのは猫の方。

わかった。
グルニャが先生なんだ。
達観に至っているのはグルニャだもの。

命が終わりそうなのはグニャなのに、
失った後の事で不安になっている私って
煩悩だらけの至らぬ者!よね。

だから私は弟子になろう。
グニャ猫大師がキャッチした自然の導きを、
よく見極めて、弟子の私がそれを補助する。
それが最善!決まり!

あと嘆くのは即時停止!!

ここまで整理がついて、
ようやく(少し)落ち着いたのだった。
9月も後半になっていた。

(2につづく)

(膝の上のねこ)