その時がきたら。
終末期を前向きに生きる猫の弟子(?)として、
ひとつ頑張ってみようと決めていたことがあった。
それは「ブラッシの歌」を歌って送る事。
平等院の雲中供養菩薩も華やかな楽隊だし、
玉三郎さんの演じた稲葉屋お孝だって、
「死出三途を小唄で渡ります」が決め台詞だ。
何か決めておかないと、自分が大変なことになりそうだし、
それで少しでもグニャの苦しさがまぎれたらいいな、とも思った。
食べなくなって23日。
10月10日夜、その時は来た。
短時間の、最初で最後の心臓発作。
直ぐに胸に抱きかかえた。
苦しい、と強く開かれた目が口元が、私に訴える。
大丈夫だよ、大丈夫だよ。
神様、どうか平安を。
「ブラッシブラッシ♪」とあの歌を
なんとか声にする。
ピンと立った耳はこっちを向いていた。
見開かれていた瞳が和らぎ
まなざしに「ちょっと考える時の表情」が浮かんだ。
歌が届いたのだ。
食いしばり、牙を見せていた口元から力が抜け、
穏やかな瞳は私を見つめたまま、
優しい顔に変わって、体の力も抜けていった。
その時、わかった。
歌を聴いたグルニャはちょっと考えて、それからお風呂に行ったんだ!
日常の日課そのままに、ブラッシしてもらおうって思って。
ただ、立ち上がった時に『からだ』を抜け出したというだけ。
こいつはすごい。
さすがグルニャ、さすが猫。
哺乳類なら終わりはこうありたい。うん、尊敬。
そうそう、それから少し遅れて、
透明なおしっこが流れてきた。
艶のある毛皮の上を、金色ビーズのようにコロコロ光る。
手のひらにぺットシートを当てて
最後の体温と、健康な尿を受け止めた。
投薬の9年間、過剰利尿激務を強いられてきた腎臓からの
「胸水から守りぬいたぜ!」という最終通信。
共に作戦を完遂し、今、沈みゆく友軍の船を見送るような気持ちで
「腎臓さん、ご苦労様」と言いながら
すこしだけ誇らしい気持ちになった。
(10日 13時 お見舞いに行くと頭をあげようと頑張っちゃう。)